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今日は職場の日帰り旅行だった。
6時半には家に着いたので楽器を練習することにした。
よっぱらっているせいか?実に音程が悪くて
自分が嫌いになりました。
たとえば、嬰ヘ長調の3オクターブのスケールをやるわけですよ。
すると不思議なことに2オクターブ目、3オクターブ目は
割合音程がいいのに、
1オクターブ目の音程が悪いのである。
難易度から考えれば、断然、1オクターブ目が簡単なはずなのだが
(いや、そうとも言い切れないが)
理由は分かった
2オクターブ目、3オクターブ目を引くときは
いろいろなことに気を使っていた。
シフティングのタイミングやひじの位置、指の滑らせ方・・・
しかし、1オクターブ目を「なめる」あまり
1オクターブ目のときはあまり意識していなかったのである!
うむ!初心忘れるべからずだ!
ちょっとあせって(?)
丹念に嬰ヘ長調に加えて,変ロ長調や、ロ長調のスケールを重点的にやりました。
最近、嫌いな,変イ長調の2オクターブスケールをよくやってたのだが
このスケールのほうがいつの間にか好きになっていたりした・・・
けれどオケの曲で重点的に使うシフティングって
ロ長調とか嬰ヘ長調の動きなんだよね。
今日は反省!初心忘れべからず!
短くても効果的な練習をしよう!
夏はスケールとクロイツァー(エチュード)を丁寧に弾いて楽しもう!
最近,コントラバスのCDの話を全然かいてませんね。
ネタ切れか?
そういうわけでもないんですがあんまし書きたくなくなって
日常生活のことばかりかいてますね。
今日、某中学校にて2時間ほど部活指導をしました。
もちろんコントラバスを教えたわけです。
教えている子
誠実で上手になりそうなので教えていて楽しい。
今日はハ長調のスケールをつかってポジション移動について
熱く語ってきました(笑)
自分は教えるほどうまくないことはよく分かっているのだが,
自分が素人だったころ、
先輩がいない環境で弾いていて、最終的にはレッスンを受けるようになったので
独学の難しさはよく分かっているつもりなので
少しで役に立てれば本当にうれしい。
3日前ぐらいに久々に高校時代買ったマイラバ(死語?)のベストアルバム聞いたら
いいじゃないかと今日も聞いていました。
youtubeでプロモ発見。
http://www.youtube.com/watch?v=BVFu9YmrGQk
(本当は動画を貼り付けたかったんですが
著作権のことを考えてやめときました。)
そうそうこの動画の2分50秒近辺が
よくCDTVに流れてたっけなぁなどと
ノスタルジィを感じました。歌詞がいいですね
ミニスカートで内股ずわりというのは
思春期の中学生には大分ズキュント来るものがありましたねぇ。
今見ると、結構古臭い化粧だなと思うから、時代は変わったのかな。
今聞くと、何で後ろの弦楽器が4重奏ではなく3重奏なんだろう?と違和感がある。
また、弦楽器のところでギターがうるさいとか,
弦楽器の音がマイクを通してるのでしょぼいとかあるけれど、
いい曲であることは間違いない。最近、クラシック以外を聞く頻度が増えましたねぇ。
一応、コントラバスのCDの話もすると
最近注文したCDがこれ。
http://mysound.jp/music/detail/t100YK/
半月前、HMVに注文したが入荷していない模様。
まぁ、HMVに頼むのだから、半年は覚悟しなければならないが・・・
すでに配信されているのがクヤシイ。
こうやってCDは衰退するんだろうなぁ・・・
これでロータのディベルティメントコンチェルタンテは
おそらく4種類目の録音だと思う。
いい曲ですよね。練習したことないけれど、楽譜持ってます。
とりあえず、HMVに一緒に注文したテミルカーノフのレニングラードほかは
分割発送してくれるらしいので
そちらを楽しみにします。
入道雲を見たり夕立のコンクリート臭さ(分かるかしら?)を
かぐだけで幸せになれる。
花火大会なんて想像するだけでよだれが出てしまう。
フィンランド人が憂鬱な冬に春への憧れを抱くのがよく分かる?
人間も生き物なので気温が高いほうが,いいらしい。
ただ、日本人の夏への憧れは
シベリウスが第2番で描いたほどの
訪れることのない春への憧憬(政治的な意味も含み)ではなく
もっと気楽でうきうきしたものであるが
この時期ひとつの不満があるのだが
仕事が暇になったときに限ってコンサートがつまらない。
子供向けの夏休みコンサートばかりではないか。
そんなもののために上京するもんか。
お子様はコンサートへ行く前に駄菓子屋にでも行きなさい。
小学生ぐらいからコンサートへいくなんて不健全極まりない(暴言)
私なんか、チェロやファゴットなんて高校生になるまで見たことなかったぞ(マジ)
19歳になって初めて東京芸術劇場に入ってあまりの素晴らしい建物に
「これは人間が作ったものなのか!」と腰が抜けるほど感動して
友達に片っ端からメールうっていたぐらいなのだから(ただの田舎ものですね)
ここ2年ほど,ミューザ川崎のサマーフェスタに行っていたが
今年は子供向け?でつまらなそうな演目なのでやめました。
けど、これはマジで
駄菓子屋に行ったり,カブトムシを捕まえたりしたほうが
総合的には豊かな情操へとつながるのではないか。
と、考えて思いついたのがベートーヴェンの田園。
ヨーロッパはいったことないので
私の貧弱な想像力はあの4楽章の嵐で
夏の夕立を想起させる。
うむ、そりゃ、5楽章の感謝につながるわい、夕立が来れば
涼しくなるではないか。
・・・確かに,この程度の貧弱な想像力で豊かな情操とは笑わせる。
やはり子供のうちからコンサートに入ったほうがいいのかもしれない(笑)
さて、夏の恐ろしさを味わったのは昨日。
おそらく脱水症状になった。
夕方、あまりに頭が痛いので原因を考えてみると
ぜんぜん水を飲んでいないことに気がついた。
職業柄、クーラーないところで働いてるし、あんまり飲む暇もないんですよ。
急いで、ポカリを500のんだらやや頭痛が治まるも、
1時間ほどして、まだ頭痛がするのでポカリをさらに1リットル飲む
こんなに飲める自分にビックリ!!!
脱水症状は恐ろしいものだ。
と書いて思い出したのはヴィヴァルディの「夏」
あの陰鬱な感じがたしかに「夏」なのかもしれない。
冬=死という連想はしっくりくるが
昨日の体験を鑑みると夏=死もたしかにうなづける。
以前、岩城宏之の著作に何故、夏はアメリカ音楽なのかと書いてあったが
思うにアメリカ=進駐軍=夏のイメージは否定できまい。
沖縄をはじめ広島、長崎などなどの幾万の痛ましい犠牲者を考えると
当時の日本人にとっては夏は「死」の季節でもあった。
よく恐ろしいことを「背筋も凍る」というが
あの夏の季節に「背筋」は凍ったのだろうか?
よく戦争記憶の風化について語られるが
ほとんど戦争の記録がモノクロなのが原因だと思う。
モノクロであるが故に遠い世界の物語のように感じてしまう。
あれが鮮明なカラーだったらもっともっと身近なものとして捕らえられると思う。
戦争を考えるときに大切なことはイメージだと思う。
夏の暑い日,のども渇いている,自分の好きな人や友人の死体が
ぐちゃぐちゃになって転がっている。
ここまで連想しただけでも嫌になってきた。
この時点で既に反戦になれるではないか。
やはり戦争を考えるのに夏の暑さは大事かもしれない。
大体世の好戦論者(とあえて書く)はイメージを阻害する言葉を実に多用している。
それは史実や歴史用語だといわれれば反駁は難しいが
「大東亜戦争」という言葉をとっても
5文字の漢字が並んでるだけで大分、死体を忘れることが出来るじゃないか。
とんでもない話だ。
戦争を考えるなら概念よりも直感的なイメージが大事だ。
と、大分、脱線したが
イマジネーションを書き立てられるような音楽を
子供に聞かせるのはいいかもしれない。
ただ、それはカルメンやラディツキー行進曲ではなく・・・
平和な国日本だからこそ,楽しい夏休みだからこそ、
ちょっとまじめなことを考える夏休みコンサートもいいかもしれない。
シベリウスはつらい冬の時期(政治的にも)に訪れることない春を考えた。
我々日本人は夏の楽しい時期にこそ、訪れてはいけない冬を考えてはどうだろう。