Mが頭文字の作曲家といえば当然モーツァルト様である。
モーツァルトにコントラバス作品なんてないと思ってらっしゃるでしょう?
あるんですよ、しかもオリジナル作品が!
その名も、コンサートアリア「この美しい手と瞳のために」
バスの独唱とオブリガードを担当するソロコントラバスを
オーケストラが伴奏するという作品。
有名な話だが、モーツァルトにはチェロのための協奏的な作品はない。
モーツァルトに限ってはコントラバスのほうがチェロに勝っているのだ!チェロに対抗意識を持つあたりがコントラバス奏者の卑しさであるが・・・
このレコードが聖書的なレコードである。
シュトライヒャー様が上記の曲を録音しているうえに
ディッタースドルフの2番でも華麗なグルーバーのカデンツァを演奏している。
なぜ、CDにならないのか?
邪馬台国がどこにあったかと同じくらいの謎である。
このモーツァルトのオリジナル作品はなぜか録音が少ない。
たまに「モーツァルト大全集」みたいなのに収録されているが、
コントラバスのCDとして録音されているのは2種類しか確認されていない。
何故だろう?大モーツァルトの作品を録音しないで
ボッテシーニばかり録音しててもしょうがないべよ。
(答えは簡単、曲がウィーン調弦のために書かれているため難しいのだ。
コントラバス奏者である奥田一夫氏のサイトに詳しく書いてある。
最近では読響首席の星氏も演奏したらしい。
近年の技術力の向上によりこの曲の演奏頻度は高まる可能性はあると見ている。)
大モーツァルトにはとてもじゃないが匹敵できないが
コントラバスの作曲家として有名なのはミシェクである。
ミシェクといっても年末にやってくる怪しげなピアニストではない。
確か、シマンドルの弟子だったらしい。
彼の3曲のソナタは重要なコンサートピースである。
この作曲家は作品に対して「妥協」というものがないような気がする。
ボッテシーニは「ソシレソシレ・・・」とコントラバスの機能性を生かした
作品を書いてるのに対し、(それでも難しいけど)
ミシェクはそんなこと考えちゃいない気がする。
ゆえにどのソナタも大変難しいのではないだろうか。
とくに2番。
冒頭が情熱的でかっこいいためか、CDが多くあるのだが
どのCDを聞いても譜面を弾くので精一杯なつまらない演奏が多い。
河原泰則氏がリサイタルで取り上げ弾いていたが、
E線のハイポジションまで駆使して何とか弾こうとしてらっしゃったが
残念ながら、「難しそうだな」と感じてしまい
音楽そのものを楽しめない演奏であった。
余談
私の住む県内で行われたこのリサイタルはすばらしかったのだが
ミシェクは客の反応も悪かった。
それとは無関係なのだが
1楽章終了後、
田舎の演奏会らしく盛大な拍手
まぁこのぐらいはままあるが、普通はここで気がつきそうなものであるのに
2楽章終了
またしても盛大な拍手
さぁ、ここで河原泰則様はさすがである。
曲の途中でお客に向かってしゃべりだした。
拍手をいただけるのはありがたいのですが、曲の最後までとっといていただけるとありがたいのです。
すばらしい紳士的な態度である。河原氏は自分の出身地の演奏会マナーを向上させようとなさっているのだ。
音楽家の方々はもう少しこのあたりの啓発運動をもっとやるべきなのではないか。
楽章間の拍手に関しては・・・
「すばらしい演奏なら楽章間でも拍手すべきだ。
アメリカでは普通のことだ。
ウィーンフィルでもよくあることだ。」
などの反論もあるかもしれない。
それはその通りかもしれない。
しかし私は嫌である。集中力が途切れてしまう。
嫌な一人でもいるならやはり楽章間の拍手はするべきではないのではないか?
まぁ、そうしたらブラヴォーはどうする?せきは?余韻は?など、
考えたらきりがないが・・・
ちなみに昨年10月に本県で行われた演奏会で本当にあった話。
ベト7で全楽章拍手があった。
・・・ここまでなると、上記のような高等な議論とは無縁な話である。やれやれ。
ベト7の2楽章で拍手するってどういう神経なのだろう?
やはりこのあたりの啓発運動は必要だ。
実は今月、ウィーン放送交響楽団が来日するのですよ。
しかも巨匠キタエンコであります。
チケットを買うにあたり不安になった。
・・・高いチケットを勝ったにもかかわらず楽章間で拍手されてはたまらない
・・・しかも曲がブラ1だ。のだめファンがくるに違いない
・・・のだめファンのような「にわかファン」がブラ1の曲の長さや地味さに耐え切れるわけがない。
おもいきって主催者であるI県文化財団に楽章間の拍手がどうにかならないか、
メールした。
すると
「アンケートの裏に楽章間の拍手に関する注意書きを書かせていただきます。」
これで次の演奏会に楽章間の拍手がなければ私のおかげである(言い過ぎか)
話は元に戻るがミシェクね。
私は技術的には怪しい2番よりは1番の方にずっと魅力を感じる。
1番はこのCDが好きかな。
3番というのもあるのだが
CDは2種類しか確認されていない。
2種類とも持っているが
片方は全4楽章のうち3楽章までしか収録されていない。
なぜか最近分かってきた。
この曲の4楽章が蛇足くさいのだ。フィナーレとはかけ離れた曲想だし。
1番、2番に比して、
3番が「知られざる曲」扱いされている理由はこの辺りにありそうである。