読売日本交響楽団が素晴らしいことをしてくれた。
なんと3年ぐらい前のクーセヴィツキーの協奏曲を演奏したときのライブの動画を
全曲公開しているのである。しかも無料で!
これはコントラバスファンいやクーセヴィツキーファンとして見るしかない!!
読響のホームページは以下
http://yomikyo.yomiuri.co.jp/
じつはこの演奏会は生で聴いてきた。
そのとき初めてクーセヴィツキーのコントラバス協奏曲なる物を聴いた。
この2週間前ぐらいに河原泰則氏の演奏でコントラバス協奏曲なるものも
初めて聴いた。この河原氏と読響の演奏が私のコントラバスCD収集癖の
原点になったことは間違いない。
そのころはあまり金がなかったので東京芸術劇場の
3階の一番安い席に陣取っていた。
正直、このときの演奏会の記憶というとクーセヴィツキーの後に演奏された
チャイコフスキーの悲愴の方が印象に残っている。
クーセヴィツキーに関しては冒頭のホルンがかっこいいなぁとか
冒頭のカデンツァ(?)がかっこいいなぁなんて思った物の
あまり印象にのこっていない。それどころか
あの構えで腰を悪くしないのかなぁなんて素人ながら思った物だ。
なぜそんなに印象に残らなかったのかというと
コントラバスの音が余り聞こえなかったためである。
3階席ということでぼんやりとしか聞こえなかった。
3楽章の難しい細かいパッセージがドヴォルザークのチェロ協奏曲に似てるなぁとか
思ったのでそれなりに音は3階席まで聞こえていたのかもしれないが
やはりヴァイオリン協奏曲なんかに比すとオーケストラに埋もれがちだったし、
2週間前ぐらいに聴いた河原氏の演奏は1階席で聴いていて明確に聞こえたので
その印象のせいでよけい地味に感じたのかもしれない。
演奏後の拍手も客席がかなりガラガラだったせいか
あまり熱狂的にも感じられなかったし、3階席から近くの人が
やたらブラボーとさわいでるので「サクラくさいな」と邪推したのをよく覚えている。
また、やたらカーテンコールが長く、でかい楽器を持ってうろうろしている
ソリストに対しては
「あんなでかい楽器持ち歩いて重そうだなぁ、どっかぶつけそうだなぁ。」なんて
くだらないことを考えた上に
「こんだけカーテンコールがあんのにアンコールはないのかよ。」と
熱狂とはずいぶんかけ離れた気持ちでいた気がする。
ただ、冒頭のホルンのリズムはやたら印象に残っており
クーセヴィツキー=冒頭のホルンであった。
この後、もう一度冒頭のホルンが聴きたいと思い
CDを探しまくり現在は10種類ぐらいの録音を持っている。
クーセヴィツキーの本当の魅力に気が付かせてくれたのは
ゲーリーカー、ベルリン放送交響楽団の名演である。
ロマンチックなフレーズや1楽章の重恩の嵐なんてのの魅力は
ゲーリーが気が付かせてくれた。
さて、後になってネットでこの読響のクーセヴィツキーの評価を見てみると
なかなか素晴らしい演奏だったらしいことがわかる。
当時は3階席だったし曲もよく知らなかったので
もう一度冷静に聴いてみたいと思った物である。
深夜にテレビでこのクーセヴィツキーが放映されたという話を聞き
見過ごしたぁ!と後悔した。
もう二度と聴く機会はないなとあきらめていたのだが
この度読響のホームページのおかげで聞くことができたわけである。
さて、改めて冷静に聴いてみると
バックのオーケストラがティンパニーなし、金管なし、ハープありの
オーソドックスな物であることや2楽章のラストにフラジオを採用していたことに
気が付かされる。
録音と言うことである程度音のバランスはいじられてるとは思うが
素晴らしい演奏である。
冒頭のホルンはさすがクーセヴィツキーの感動の原点だけあって素晴らしい。
また、ソリストの演奏もライブとは思えないほどの安定した演奏で
(1楽章の3連符などには傷がある物の)素晴らしい。
また、冒頭のカデンツァ、重音の嵐の迫力も十分だし、
歌い方も日本人好みだ。また、ライブならではの迫力もある。
また、オーケストラのサポートもばっちりでしっかりとソリストにつけている。
改めて録音で聴いてクーセヴィツキーに対する思いの原点に戻れた気分である。
やはり当時、じみに思ったのは席が悪かったのと
曲に対する予備知識がなかったせいかもしれない。
願うことならもう一度オーケストラをバックにしたクーセヴィツキーの生演奏を
良い席で聴いてみたい物だ。