最近、いろいろあって手に入れた永島義男氏のCD。
HMVでは取り扱っているが廃盤ではないのだろうか?
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=111056
いきなり地元の話なのだが
じつはこのCDは私の住む南東北が誇るコンサートホールで録音されている。
このコンサートホールは音響がよいことで有名らしいが
このコンサートホールの致命的な欠陥はあまりに容量が小さいことである。
まぁ、室内楽をやるのはよいのだろうが
地方に住む私にとってはたまにはフルサイズのオーケストラも聴きたいものである。
マーラーなんかはもちろんのことベートーヴェンもおそらく乗らない。
なのでこのホールで行われる一流奏者が集う定期演奏会では
いつもいつもモーツァルトばっかりやっている気がする。
(しかもこの定期演奏会は席数が少ないうえ、値段が異常に高い。)
なので今年はモーツァルトイヤーなのだが取り立てて珍しい感はない。
身近ではいつもモーツァルトをやっている気がする。
もちろんそのモーツァルトはクオリティは極上のものである。
モーツァルト嫌いの私でも寝ないで聴くことができる。
しかし、人間は毎回極上のステーキばかり食べてればいいものではないのと同じで
極上のモーツァルトばかり聴いてもねぇ・・・
で、南東北ではフルサイズのオーケストラがくると
音響のよいこのコンサートホールには載らず
「OO県民文化センター」という腐りかけた多目的ホールで演奏会が行われる。
このホールは本当にひどい。音響もくそもない。
この間初めて、音響が最悪と言われているNHKホールに行ったのだが
このホールに比べれば全然音響がよいのである。
このホールしか知らなかった私が大学1年の時、
はじめて東京芸術劇場に行ったとき、仰天した。
「こんなすごい建物が世の中に存在するのか!ここは天国なのではないだろうか!」
と本当に感激した。
感激のあまり、ホールに入ったとたん友達10人ぐらいにこの感激をメールで
力説したのをよく覚えている。
NHKホールをだめだめ言っていて、良質なホールに恵まれすぎている
東京の方にはこの感激はおそらくわからないと思う。
どちらが幸せかはわからないが、私は田舎に住んでいた故にこの感激を味わえ
幸せである。
なんだかちっとも永島義男氏のCDの話にならないのであるが
このCDのピアノは野平一郎氏。
野平氏で印象に残っているのは
南東北が誇るコンサートホールに2年前ぐらいに行ったときのことである。
その時は小沢征爾指揮なのに珍しくチケットが手に入った。
プログラムはモーツァルト交響曲第40番をメインに
ベルリンフィルのホルン、バボラークが参加する協奏交響曲もあるという
極上のプログラムだった。しかし私の興味は一番最初に演奏される
バルトークの「弦楽と打楽器、チェレスタのための音楽」だった。
モーツァルトばかり演奏されるこのホールでバルトークが演奏されるというのは
とんでもない大イベントである。そのショックたるや春の祭典に匹敵する。
(まぁ、同じ年に準メルクルの指揮でシェーンベルクや武満徹も
演奏されていたのだが。)
そして、はじまったバルトーク。
記憶が定かでないのだがコントラバスに永島義男氏がいたような気がする。
異常な緊張感のな歌曲は進んでいき、
曲のクライマックスでの野平氏による大音量のピアノはすさまじいものだった。
すさまじい音は視覚的にも「見える」と私は信じているのだが
(一種の異常興奮にいる幻覚かもしれない。)
確かにその時渦巻きが見えた気がする。
それ以来、野平氏にはすごい印象を持っている。
こういう体験は何回かあって、
チャイコフスキーの悲愴を初めて生で聴いたときや
マーラーの2番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いたときにも見えた。
編成に関係なく永島義男氏が弾いたロッシーニのデュオの時も見えた。
田舎ものの私のちっぽけな音楽鑑賞歴や感動歴は
東京でオケの定期会員になっている方や数多くのCDを聴いた方からすれば
あまりに恥ずかしくて幼稚なものだろう。
しかし、ネット上なんかで
そういった方々の「何日のどこそこの演奏会の木管はこうだった」とか
「OOの名盤に比べたら普通な演奏。」みたいな意見をみるたびに
私はめったに演奏会に行けないことが幸せなんだなぁと思う。それは無知なのだろうが
本人が満足しているのだ、それでいいではないか。
全然、本題に入らず脱線しました。次回、永島氏のCDについて書きたい。
(上記のようなことを言いつつ、コントラバスのCDは批評してるんだから
矛盾していると自分で思う。
コントラバスのCDに関しては不幸なのかもしれない。 笑)