バディラのCDについて連載中です。
以前も述べたがボッテシーニはコントラバス奏者であると同時に
ヴェルディのアイーダを初演した指揮者でもあった。
彼がオペラを指揮するとその休憩中に観客を楽しませるため,
オペラのフレーズを技巧的にした曲をコントラバスで弾いた。
そのうち,この休憩中のボッテシーニの演奏を
楽しみに来る者まで現れた。とか言う話をどっかで聴いたことがある。
こうして生まれたのが
数々の「OOの主題による幻想曲」である。
パガニーニの曲にもこの手の「OOの主題による幻想曲」が
多いことから,この手の企画がおそらくはやっていたのだろう。
ちょっと脱線だが,
最近,ヴェルディについて興味深い文章を読んだ。
ヴェルディとワーグナーの違いは
ワーグナーは器楽を中心に歌を利用し,
ヴェルディにとって歌を盛り上げるためだけに器楽を利用した,
なぜなら,イタリア人は何よりも「歌」を大切にする。といった
文章である。
(ちなみにオイレンブルグ日本語版ヴェルディ序曲「運命の力」に
そういった内容がかいてあった。
読解力不足故,そんな意味のことがかいてなかったらごめんなさい。)
このイタリア人は歌を大事にすると言うのは
ボッテシーニの「OOの主題による幻想曲」に
関わりがないとは言えない気がする。
しかし,この手の企画に似たもので
「カルメン幻想曲」というのがどの楽器にもよくある。
カルメンはだれでも知っているフレーズが満載なため,
あっこれはハバネラだ!ジプシーだ!と分かるのだが,
ボッテシーニが引用した
「夢遊病の女」だとか「清教徒」だとかの曲を
さっぱり聴いたことがないのでその幻想曲を聴いてもちっとも分からない。
だから,正直,この手の「OOの幻想曲」って嫌いだった。
ただ,ゲーリーカーの「夢遊病の女の幻想曲」や
ステファノシャシャの「テンダのベアトリーチェ」には正直,
上手いと思った。なぜなら,そこに歌があるのだ!
逆に河原泰則氏の「ルチア幻想曲」は何がいいんだかさっぱり分からない。
そこにイタリア人にとって大切な「歌」を感じないからだろうか?
(大言壮語ですなぁ。プロの方が見たら笑っちゃう文章ですが。)
(ちなみに上記のステファノシャシャ氏の演奏は何故か
全曲聴けるページがある。違法ではないと思うが・・・
http://www.mmca.mersinet.co.uk/)
さて,かんじんなバディラの演奏はというと,
音色は優しいのだが,ちと,テンポが速すぎる感じがする。
日本人好みの歌い方ではない気がする。
迫力もあるし,上手いのだが,歌とは違う気がする。
まぁ,ゲーリーカーのべったりした歌い方が本当に
イタリア人の歌心かと言われれば正直分からないのだが・・・
さっきあんだけ大言壮語したのだが,
わかった!つまり結論はボッテシーニのこの手の「OOの幻想曲」を
楽しむためにはやはりイタリアンオペラに詳しくなる必要があるのだ!
イタリア人の心を知った上でないと楽しめない曲達なのだ。
うーん,敷居が高い。
やはり,このての曲はしばらく楽しめそうにないなぁ。
まぁ,4枚もCDがあれば何十年もかけて
楽しむ物なのかも知れないなぁ。
大言壮語ばかりして,まったくまとまらない結論でした。