Sequel
2010.01.10 Sunday
ソロを残さなかったツェパリッツ ツェパリッツ追悼
JUGEMテーマ:音楽
名コントラバス奏者ツェパリッツ氏が昨年の暮れに亡くなっていたという話を
何日前に知った。
3年ほど前に楽器どころの状態ではないという噂を聞いたことあるが
故人なので噂の詳細は書かない。(所詮噂だしね)
以下、ツェパリッツのことに関して書くが
誤解のないように書いておきたい。
私がツェパリッツ氏を偉大なコントラバス奏者だと聞き及んでいるという前提で読んで欲しい。
別に故人を冒涜するわけでもなんでもない。
(以下、敬称は略す)
さて、ツェパリッツが亡くなったのだが
個人的に正直、それほどの感慨はないのである。
ツェパリッツといえば、カラヤン時代のベルリンフィルのコントラバスを
支えていた(「らしい」)のだが
私の年代からすると、遠い昔話の感がある。
実際、カラヤンが大活躍してたころは私は生まれたか生まれないかぐらいの話なので
実感がもてるはずもない。
私にとってベルリンフィルといえば(アバドでもなく)ラトルであり、
ベルリンフィルのコントラバスといえばクラウス・シュトールなのだ。
(だから、2年前、生のクラウスシュトールを見られたときは
うれしかったし、クラウス・シュトールの引退も衝撃的だった。)
同じ理由でルードヴィヒ・シュトライヒャーが死んだときも
「えっまだ生きていらっしゃったのか!」という感じであった。
さらに言うと、ツェパリッツを何故身近に感じないかといえば、
彼が「ソロのCD」を出していないことに尽きる。
(マーラー巨人のソロなどの録音はあるだろうが・・・)
本ブログの趣旨からいけば、確かにツェパリッツは遠い存在である。
ここがシュトライヒャーとの大きな差である。
しかし、私が知らないだけかもしれないが
これほどの大奏者が何故、CDを残さなかったのだろう?
この疑問はコントラバスのソロを考える上で重要な気がする。
前置きが長くなったが今回はツェパリッが何故CDを残さなかったのかを
考えてみたい。まぁ、いつもどおりいい加減な推測交じりで・・・
まず、ベルリンフィルの奏者でCDを残している人はどれぐらいいるのだろう?
知っている範囲で書く。
そもそもこんなCDがあるんだからソロには割合積極的なのではないかと考える。
http://www.camerata.co.jp/J/cd/cmcd20/20008.html
個々に見てみても・・・
クラウス・シュトール
ナビル・シェハタ(もう退団しちゃったけど)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1260300
エスコ・ライネ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/693872
ウォルフガング・ギュトラー
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1512215
と、ベルリンフィルの奏者のCDは結構あるのである。
上記の奏者たちが(有名ではあるが)ツェパリッツより有名かといえば
微妙である。
何故、彼にはCDがないのか。
ここで注目したいのがパトリック・ズュースキント作「コントラバス」である。
溝入敬三氏によるとこの作品は
ツェパリッツを綿密に取材し、書かれた作品らしい。
ということはこの作品にツェパリッツの考えが隠されているかもしれない。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%B9-%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%BA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88/dp/4810202011/ref=sr_1_10?ie=UTF8&s=books&qid=1263116621&sr=8-10
さて、気になる言葉を検証してみたい。
主人公はp54で
「コントラバスの独奏なんてバカバカしい思いつきでしかないんですよ。」
と述べた後、ディッタースドルフののレコードをかける・・・
p55(改行はこちらで行った)
「さて、正直に答えてください。よかったですか?
曲がどうこうじゃなくて響きという点でですよ。
え、カデンツァだけならですって?
いまのカデンツァをもう一度聴いてみたいんですか?
あんなに間の抜けたカデンツァって、そうあるもんじゃない。
聴いているうちにひとりでに泣けてきちゃいますよ。
今の演奏ね、あれでも一流のソリストだったんですよ。
名前を挙げるのはやめときます。
だって彼が悪いわけじゃないですからね。」
1、ディッタースドルフのレコード
2、カデンツァだけがよかった
3、1流のソリスト
この3つのキーワードからレコードは特定できそうである。
この場面から、ツェパリッツのソロに関する考え方が読み取れるように思えるのだが
それは考えすぎだろうか?
さらに興味深い言葉がある。
p59
「そう、『鱒』なんか最高の作品ですよ。」
この言葉からツェパリッツがコントラバスという楽器に
どのような役割を考えていたのかが分かるような気がする。
以上のことと、ツェパリッツのソロCDがないことには関係があるのではないか。
また、このことを考えることはコントラバスのソロを考える上で
重要なことだと思う。
楽器の性能を無視し・・・チェロのような音色で・・・
大分、大分、飛躍するが、ツェパリッツがソロを残さなかったことは
コントラバスソロに対する警鐘かもしれない。
また、ツェパリッツがCDを残してないにもかかわらず
コントラバスファン以外から愛されている原因もここにあるかもしれない。
もっともズュースキントの「コントラバス」がどの程度ツェパリッツの考え方を
反映していたかは分からないし、
私が知らないだけでツェパリッツの独奏の録音もあるのかもしれない。
(ご存知の方がいましたらご教示ください。)
また、時代的に鑑みてもCDが出るかでないかの時代であったため
今ほど、簡単に録音しようという環境ではなかったのかもしれない。
しかし、私はどうも上記の説が正しいように思えてならない。
(まぁ、勝手な妄想ですが)
ツェパリッツに関しては独奏よりも「鱒」がきいてみたいものである。
さがしてみたら簡単に見つかった。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3637602
まだ、聴いたことはないが
ツェパリッツ追悼版としては「鱒」がふさわしいように思える。
名コントラバス奏者ツェパリッツ氏が昨年の暮れに亡くなっていたという話を
何日前に知った。
3年ほど前に楽器どころの状態ではないという噂を聞いたことあるが
故人なので噂の詳細は書かない。(所詮噂だしね)
以下、ツェパリッツのことに関して書くが
誤解のないように書いておきたい。
私がツェパリッツ氏を偉大なコントラバス奏者だと聞き及んでいるという前提で読んで欲しい。
別に故人を冒涜するわけでもなんでもない。
(以下、敬称は略す)
さて、ツェパリッツが亡くなったのだが
個人的に正直、それほどの感慨はないのである。
ツェパリッツといえば、カラヤン時代のベルリンフィルのコントラバスを
支えていた(「らしい」)のだが
私の年代からすると、遠い昔話の感がある。
実際、カラヤンが大活躍してたころは私は生まれたか生まれないかぐらいの話なので
実感がもてるはずもない。
私にとってベルリンフィルといえば(アバドでもなく)ラトルであり、
ベルリンフィルのコントラバスといえばクラウス・シュトールなのだ。
(だから、2年前、生のクラウスシュトールを見られたときは
うれしかったし、クラウス・シュトールの引退も衝撃的だった。)
同じ理由でルードヴィヒ・シュトライヒャーが死んだときも
「えっまだ生きていらっしゃったのか!」という感じであった。
さらに言うと、ツェパリッツを何故身近に感じないかといえば、
彼が「ソロのCD」を出していないことに尽きる。
(マーラー巨人のソロなどの録音はあるだろうが・・・)
本ブログの趣旨からいけば、確かにツェパリッツは遠い存在である。
ここがシュトライヒャーとの大きな差である。
しかし、私が知らないだけかもしれないが
これほどの大奏者が何故、CDを残さなかったのだろう?
この疑問はコントラバスのソロを考える上で重要な気がする。
前置きが長くなったが今回はツェパリッが何故CDを残さなかったのかを
考えてみたい。まぁ、いつもどおりいい加減な推測交じりで・・・
まず、ベルリンフィルの奏者でCDを残している人はどれぐらいいるのだろう?
知っている範囲で書く。
そもそもこんなCDがあるんだからソロには割合積極的なのではないかと考える。
http://www.camerata.co.jp/J/cd/cmcd20/20008.html
個々に見てみても・・・
クラウス・シュトール
ナビル・シェハタ(もう退団しちゃったけど)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1260300
エスコ・ライネ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/693872
ウォルフガング・ギュトラー
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1512215
と、ベルリンフィルの奏者のCDは結構あるのである。
上記の奏者たちが(有名ではあるが)ツェパリッツより有名かといえば
微妙である。
何故、彼にはCDがないのか。
ここで注目したいのがパトリック・ズュースキント作「コントラバス」である。
溝入敬三氏によるとこの作品は
ツェパリッツを綿密に取材し、書かれた作品らしい。
ということはこの作品にツェパリッツの考えが隠されているかもしれない。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%B9-%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%BA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88/dp/4810202011/ref=sr_1_10?ie=UTF8&s=books&qid=1263116621&sr=8-10
さて、気になる言葉を検証してみたい。
主人公はp54で
「コントラバスの独奏なんてバカバカしい思いつきでしかないんですよ。」
と述べた後、ディッタースドルフののレコードをかける・・・
p55(改行はこちらで行った)
「さて、正直に答えてください。よかったですか?
曲がどうこうじゃなくて響きという点でですよ。
え、カデンツァだけならですって?
いまのカデンツァをもう一度聴いてみたいんですか?
あんなに間の抜けたカデンツァって、そうあるもんじゃない。
聴いているうちにひとりでに泣けてきちゃいますよ。
今の演奏ね、あれでも一流のソリストだったんですよ。
名前を挙げるのはやめときます。
だって彼が悪いわけじゃないですからね。」
1、ディッタースドルフのレコード
2、カデンツァだけがよかった
3、1流のソリスト
この3つのキーワードからレコードは特定できそうである。
この場面から、ツェパリッツのソロに関する考え方が読み取れるように思えるのだが
それは考えすぎだろうか?
さらに興味深い言葉がある。
p59
「そう、『鱒』なんか最高の作品ですよ。」
この言葉からツェパリッツがコントラバスという楽器に
どのような役割を考えていたのかが分かるような気がする。
以上のことと、ツェパリッツのソロCDがないことには関係があるのではないか。
また、このことを考えることはコントラバスのソロを考える上で
重要なことだと思う。
楽器の性能を無視し・・・チェロのような音色で・・・
大分、大分、飛躍するが、ツェパリッツがソロを残さなかったことは
コントラバスソロに対する警鐘かもしれない。
また、ツェパリッツがCDを残してないにもかかわらず
コントラバスファン以外から愛されている原因もここにあるかもしれない。
もっともズュースキントの「コントラバス」がどの程度ツェパリッツの考え方を
反映していたかは分からないし、
私が知らないだけでツェパリッツの独奏の録音もあるのかもしれない。
(ご存知の方がいましたらご教示ください。)
また、時代的に鑑みてもCDが出るかでないかの時代であったため
今ほど、簡単に録音しようという環境ではなかったのかもしれない。
しかし、私はどうも上記の説が正しいように思えてならない。
(まぁ、勝手な妄想ですが)
ツェパリッツに関しては独奏よりも「鱒」がきいてみたいものである。
さがしてみたら簡単に見つかった。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3637602
まだ、聴いたことはないが
ツェパリッツ追悼版としては「鱒」がふさわしいように思える。
Comment
はじめまして!!
いつも楽しく日記読ましていただいております、神戸在中のKBと申します。
自己紹介またの機会にでも(笑)
ツェペリッツ氏が亡くなられたのですか…
先日、ツェペリッツ氏の音を聞いてみたいと思い、年末にベルリンフィル八重奏団のCDを買ったところでした。
(ちなみにそのCDはハーゼンエールの「もう一人のティルオイレンシュピーゲル」、モーツァルトの「音楽の冗談」、ロッシーニの「四重奏の為のソナタ1、6番」が入っています)
とても素晴らしくアンサンブルを支えていて感激していたのですが、亡くなられたと今知り、ショックですね…
是非、鱒の演奏も聴きたいものです。
ツェペリッツ氏のご冥福をお祈りします。
いつも楽しく日記読ましていただいております、神戸在中のKBと申します。
自己紹介またの機会にでも(笑)
ツェペリッツ氏が亡くなられたのですか…
先日、ツェペリッツ氏の音を聞いてみたいと思い、年末にベルリンフィル八重奏団のCDを買ったところでした。
(ちなみにそのCDはハーゼンエールの「もう一人のティルオイレンシュピーゲル」、モーツァルトの「音楽の冗談」、ロッシーニの「四重奏の為のソナタ1、6番」が入っています)
とても素晴らしくアンサンブルを支えていて感激していたのですが、亡くなられたと今知り、ショックですね…
是非、鱒の演奏も聴きたいものです。
ツェペリッツ氏のご冥福をお祈りします。
| | 2010/01/11 12:37 AM |
コメントありがとうございます。
神戸在住ですか、今日、文屋充徳氏のリサイタルが
神戸であって行きたいと思っていたのですが
いかれましたか?
これからもブログをだらだら書いているので
暇つぶしに見てください。
神戸在住ですか、今日、文屋充徳氏のリサイタルが
神戸であって行きたいと思っていたのですが
いかれましたか?
これからもブログをだらだら書いているので
暇つぶしに見てください。
| 管理人 | 2010/01/11 4:26 PM |
文屋氏のコンサート、行きたかったのですが、年明けにチケット予約しようとしたらすでに完売でした。
なかなか面白いプログラムだったので是非聴きにいきたかったのですが…
これからもちょこちょことコメントしていきたいと思いますので、よろしくお願いします
なかなか面白いプログラムだったので是非聴きにいきたかったのですが…
これからもちょこちょことコメントしていきたいと思いますので、よろしくお願いします
| KB | 2010/01/11 5:56 PM |
上記の方々御指摘の通り、ツェペリッツ氏はソロの録音をしていないようです。ツェペリッツ氏はフルトベングラーの頃からベルリン・フィルで演奏しており、生粋の「オーケストラ・プレーヤー」です。カラヤンはベルリン・フィルのコントラバスセクションに「このホール(ベルリン・フィルハーモニーホール『通称カラヤンサーカス』)は、ワインヤード型の造りになっていて、ウィーン・ムジークフェラインのような箱型のホールではないから、反響が無い。よって、低弦(チェロ、コントラバス)は余程大きな音を出さない限り、オーケストラを底から支えるような響きを作り出すことはできない。」と指摘し、さらに「コントラバスは、フルートやコンサートマスターのバイオリンよりも先に、アインザッツ(出だしのこと)で発音しなければならない。」とも言っています。よって、もしベルリン・フィルがウィーン・ムジークフェラインのような箱型の反響のあるホールで演奏すると、低音が大きすぎて「割れて」しまうのだそうです。そういったわけで、ベルリン・フィルの首席奏者を任されたツェペリッツ氏ですから、何よりも第一にそのことを考え、コントラバスという楽器は「オーケストラの響きを底から支える働きを持つ重要な楽器である。」という信念で捉えていたと想像することができます。もちろんツェペリッツ氏は、たとえば「ディッタースドルフの協奏曲」なんか弾けちゃう人だったに決まっているんです。それは、日本人のみならず、世界中の人が、ツェペリッツ氏に指導してもらいたくて渡独していたことで証明できます。その人数は想像できないほどの大人数だそうです。私もコントラバスを弾きますが(もちろんアマチュアですが)、私の大学時代の師匠は、元N響の「田中雅彦氏」です。田中氏も、若い頃に、ドイツに留学して(ベルリン音楽大学)ツェペリッツ氏の指導を受けています。つまりツェペリッツ氏は、単純にソロを録音することに興味が無かった、そんなことよりも「カラヤンの欲しがっているベルリン・フィルの低音をいかにして作り出すか」ということに余念がなかった、と想像することができます。
これに対し「クラウス・シュトール」の場合、彼はベルリン・フィルの他のコントラバス奏者とは、いささか異なる演奏技法(技術と言った方がよろしいでしょうか。)を持ち合わせている「天才コントラバス奏者」です。具体的にどこが他の奏者と違うかというと、唯一挙げるとすれば「弦を弓で弾く位置が、他の奏者に比べて、指盤の切れ目よりも上の方で弓を沢山使って音を出すことが多い」ということです。コントラバスを弾いたことの無い方はわかりにくいかと思いますが、すなわち、ブリッジに近い方ではなく、スルタストを奏する時に弾く場所あたりで、弓を沢山使って「ブン!」とやるスタイルの演奏方法なわけです。シュトールは沢山のイエルク・バウマンとの「2重奏」のレコードを録音しています。彼はおそらく、ベルリン・フィルという大きな演奏集合体だけではなく「室内楽」にものすごく興味があり、さらに室内楽的技術に必要な「高度なソロ演奏技術」を持ち合わせていたと想像することができると思います。実際に彼は、自分で作品を「チェロとコントラバス」のために多数の編曲を行っています。
長い文章で、読みにくくて申し訳ありません。
あと一言。
通常、コントラバス奏者が「ソロ」を演奏する場合に使用する楽器は、オーケストラで使用する楽器よりもはるかに小さい物を使用します。しかし「シュトライヒャー」は、ソロ演奏に、標準サイズ、すなわち「オーケストラで弾く場合と同じ大きさの楽器」を使用してソロの録音をしています。ただし、私が耳で聴いた感じでは、使用する弦が通常の「ソロ弦」よりも細い「エキストラ・ソロ」である可能性が高いと思われます。
ちなみに、シュトールはオイドキサーのソロ弦をオーケストラの楽器にも張って使用していました。ソロ演奏の場合も同じ弦です。
これに対し「クラウス・シュトール」の場合、彼はベルリン・フィルの他のコントラバス奏者とは、いささか異なる演奏技法(技術と言った方がよろしいでしょうか。)を持ち合わせている「天才コントラバス奏者」です。具体的にどこが他の奏者と違うかというと、唯一挙げるとすれば「弦を弓で弾く位置が、他の奏者に比べて、指盤の切れ目よりも上の方で弓を沢山使って音を出すことが多い」ということです。コントラバスを弾いたことの無い方はわかりにくいかと思いますが、すなわち、ブリッジに近い方ではなく、スルタストを奏する時に弾く場所あたりで、弓を沢山使って「ブン!」とやるスタイルの演奏方法なわけです。シュトールは沢山のイエルク・バウマンとの「2重奏」のレコードを録音しています。彼はおそらく、ベルリン・フィルという大きな演奏集合体だけではなく「室内楽」にものすごく興味があり、さらに室内楽的技術に必要な「高度なソロ演奏技術」を持ち合わせていたと想像することができると思います。実際に彼は、自分で作品を「チェロとコントラバス」のために多数の編曲を行っています。
長い文章で、読みにくくて申し訳ありません。
あと一言。
通常、コントラバス奏者が「ソロ」を演奏する場合に使用する楽器は、オーケストラで使用する楽器よりもはるかに小さい物を使用します。しかし「シュトライヒャー」は、ソロ演奏に、標準サイズ、すなわち「オーケストラで弾く場合と同じ大きさの楽器」を使用してソロの録音をしています。ただし、私が耳で聴いた感じでは、使用する弦が通常の「ソロ弦」よりも細い「エキストラ・ソロ」である可能性が高いと思われます。
ちなみに、シュトールはオイドキサーのソロ弦をオーケストラの楽器にも張って使用していました。ソロ演奏の場合も同じ弦です。
| 小林直人 | 2011/10/05 11:09 AM |
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