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はじめに
町を歩くと師走の匂いがする、ような気がするだけなんだろうが
世間では年末年始である。
たしかにこんな時分にはカーステレオでショスタコなんか聴きたくない。
第九やヨハン・シュトラウスが似合う気がする。
そう思えるようになったのは、文化を解すようになったためか、
洗脳されたのか、はたしてどちらだろう。
まぁ、そういうわけで年末年始。今年を振り返る。
【1】コントラバスのCD
いやぁ、最近ぜんぜん紹介してませんね。
まず言い訳。それは紹介するCDがないわけでなく、
聞く暇がないのです。
最近も買いました。深澤功の新盤や
Bozoによるベートーヴェンのチェロソナタ集。
果てはポシュタの小品集のLPもゲットしました。が、聞く暇がないので
来年からは聞いた分から少しずつ紹介したい。
話は若干変わるが来年は都響で
山本修氏によるクーセヴィツキーの協奏曲がありますね。
絶対行こうっと。
【2】震災
今年を振り返る上で外せないキーワードである。
最近は話題に困ったらとりあえず「震災のときは何してましたか」といえば、
話は持つようである。
本県も被災県として断水、停電、ガソリン騒動やらに巻き込まれましたが
原子力災害を考えれば圧倒的に軽微だったともいえる。
なんだかんだいっても今はこんなブログを書くぐらいの普通の生活である。
本当の被災者がどういった人かは分からないが
その方たちの気持ちはきっと理解できていないに違いない。
自分が生きている間に歴史的事件が起こるとは。
そういう感想が出るというのは平和ボケの証のようだ。
これから歴史を振り返る際に
平成は間違いなく震災前/震災後に区別されるだろう。
【3】とは言っても
個人レベルで言えばとてもいい年であった。
ようやく婚約できた。いよいよ独身貴族の余命も短くなった。
【4】演奏会(出演)
今年は震災の影響もあり3件の演奏会が会場の都合でなくなった。
さらに仕事の都合で1件の演奏会に出られず、
結局、全部で3回しか演奏会をやれなかった。
今年は弓の持ち方を変えて音が大分変わった(はず・・・)
今も本県のホールは復活していないところが多い。
演奏会一回一回の貴重さを考えさせられる年であった。
【5】演奏会(聴衆として)
独身貴族の余命を惜しむがごとくたくさん聞きました。
今年は震災によりさまざまな演奏会に代役が立ったという年であったが
私も2回ほど出演者が代役になった。(1回は震災とは関係ない 後述)
さて、いやらしくランキング形式でふりかえってみる。
1、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 11月23日
指揮 サイモン・ラトル
ブルックナー 交響曲第9番他
まぁねぇ、この軍団は人間離れしてますね。
チケットは高かったが、ちょっとその辺で聞けるもんじゃないですね。
「世界一」という言葉はたしかにある。
批判が多いのもすごい証である。
2、群馬交響楽団 群馬音楽センター 6月25日
指揮 沼尻竜典
ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」他
このプロを聞くためにわざわざ片道3時間近くかけて群馬まで行く。
去年のテミルカーノフほどの色彩感、和声感、緻密さには
欠けたし、事故や携帯電話がなるなどのアクシデントはあったが
すごい集中力の爆演ではあった。聴いたこちらが疲れた。
終演後の沼尻氏が死にそうなコオロギのようになっていたのが印象的。
(ほめ言葉ね。)
3、東京交響楽団 サントリーホール 5月14日
指揮 ユベール・スダーン
ヴァイオリン クリスティアン・テツラフ ピアノ 児玉桃
メンデルスゾーン ヴァイオリンとピアノのための協奏曲
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 他
テツラフ!テツラフ!彼の演奏は5年ぐらい前に
N響とブラームスの協奏曲聴いて以来、虜でしたが
すごいよなぁ。児玉桃とのアンサンブルによる濃密な時間。
思わず笑みが出てしまう。前半のソリストを受けてオケも燃えたせいか
後半の英雄もすさまじい迫力にある演奏でした。
終楽章は2管編成とは思えない迫力でした。
4、NHK交響楽団 NHKホール 9月17日
指揮 ヘルベルト・ブロムシュテッド
ピアノ レイフ・オヴェ・アンスネス
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
チャイコフスキー 交響曲第5番
大好きなラフマニノフの3番を生で堪能しましたが
やはりこの曲はいいですね。チャイ5は各声部が実にくっきりと
整理されており,「N響ってこんなにうまかったっけ!?」と
驚かされました。終楽章の途中で拍手がなったのはご愛嬌。
5、読売日本交響楽団 東京オペラシィ 7月18日
指揮 下野竜也
ヒンデミット 管弦楽のための協奏曲
ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」他
日本初演のヒンデミットで誰も終わったのがわからず
拍手が起きなかったのは面白かった。(俺も分からなかった)
読響は弦が男性的で実に迫力がある。
ブルックナーの4楽章冒頭の下野氏の気迫が印象的だった。
6、東京都交響楽団
サントリーホール 12月20日
指揮 エリアフ・インバル
ヴァイオリン ジュリアン・ラクリン
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
ショスタコーヴィチ 交響曲第12番「1917年」
チューニング後、なぜかしばらくの間指揮者もソリストも
現れなかったが冒頭のラクリンの音を聞いて納得。
異常に緊張していたのだ。3楽章のカデンツァから
ヴァイオリンが明らかに鳴り出し、4楽章・アンコールでは
無双状態でした。初めからよければと若干勿体無い。
後半の12番はよく整った演奏だったが演奏が良いだけに
曲の弱さを露呈した。
7、NHK交響楽団
NHKホール 10月22日
指揮 アンドレ・プレヴィン
ピアノ 児玉桃 オンドマルトノ 原田節
メシアン トゥランガリラ交響曲
生で聞いてみたかった曲のひとつ。長い曲なので
コンディションを万全にして聴いたが
ずっと音に浸ってられる心地よさがあった。
オンドマルトノもしっかり聞こえて満足。
8、読売日本交響楽団
サントリーホール 8月24日
指揮 小林研一郎
マーラー 交響曲第1番「巨人」他
小林研一郎はやはり見せ方がうまい。その一語につきる。
賛否はあるが名指揮者なのだろう。
サントリーホール 4月23日
指揮 山田和樹 ソプラノ 市原愛
マーラー 交響曲第4番他
インキネンが震災のためキャンセルして
山田和樹になり、曲目も代わった。
むしろそれにより行ってみようと思ったのだが。
1楽章の声部の明確さ、2楽章の官能性、
3楽章の叙情性など完璧。やはり名指揮者なのだろう。
3楽章クライマックスでのソリストの白いドレスは
黒の燕尾服の中に視覚的衝撃を感じた。
山田和樹は学生時代振ってもらったことがあったのだが
出世したものだ。
ここまではどの演奏会もかなり満足できました。
次からは「普通」ぐらい。
10、東京フィルハーモニー交響楽団
サントリーホール 1月14日
指揮 渡邊一正
ショスタコーヴィチ 交響曲第6番
プロコフィエフ 交響曲第5番 他
大野和志が腰痛?でキャンセルし渡邉氏になり、話題になった。
世界初演の現代曲+ショスタコ、プロコを
曲目を変えずよく頑張ったが
やはり時間がなかったようでプロコに焦点を当てた演奏になってた。
楽しみにしてたショス6が中プロ扱いなのは残念。
やはり大野で聴きたかったという思いは残る。
11、NHK交響楽団
結城市民文化センターアクロス 3月6日
指揮 アレクサンダー・リープライヒ
ヴァイオリン ヴィルデ・フラング
シベリウス ヴァイオリン協奏曲
ブラームス 交響曲第4番 他
ヴィルデフラングは本当に素晴らしい演奏で
今年のベストソリストとも言える。ソリストはあれぐらい
表現力がないと。CDも買ってしまった。
来年東響に来るらしいので楽しみである。
後半、ブラ4はちょっと大味。迫力はあったが
曲想にあわなかった。
12、読売日本交響楽団
東京オペラシティ 4月23日
指揮 シルヴァン・カンブルラン
ヤナーチェク 狂詩曲「タラス・ブーリバ」
シンフォニエッタ他
「いい演奏会だな」と思ったがヤナーチェクの
予備知識がなく惜しいことをした。その後、テレビを視たり、
CDを聴いてヤナーチェクの魅力が分かったのだが
後の祭りである。
震災後来た、カンブルランの姿に感動。
サイン会で握手もした!!
13、読売日本交響楽団
東京芸術劇場 2月19日
指揮 ゲルト・アルブレヒト ヴァイオリン 神尾真由子
ブラームス ヴァイオリン協奏曲
ブラームス 交響曲第2番
世間で言う、神尾を聞いたのだが
以前テレビで見た印象と同じで出だしに緊張しすぎ。
音量はでかいのだが歌心が幼稚でした。
14、神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらい横浜 2月19日
指揮 金聖響 ヴァイオリン 南紫音
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第4番
マーラー 交響曲第5番
南さんのソロはおもしろくもおかしくもなく
ほとんど寝てた。
マーラーは迫力はあったが各声部のバランスが悪く
見通しが悪かった成果、1時間という大曲を
聞かせるだけの力がなかった。(後半飽きてしまった。)
トランペットは素晴らしかったのだが・・・
指揮者のせいだと思う。
15、東京シティフィルハーモニック管弦楽団
東京文化会館 12月28日
指揮 宮本文昭
ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱つき」
1楽章の内声の扱いはよかった。
2楽章は完璧で非常に感銘を受けたが
だんだんと間延びしてきて4楽章は惰性だった。
宮本氏は細部にこだわっていたが
本質的な部分でたくさん振ってもオケがなぜか鳴らない。
これが指揮者の力量か。
ここからは「不満」の演奏会です。
ノバホール 7月2日
指揮 パブロ・ヘラス・カサド
ヴァイオリン 神尾真由子
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
シベリウス 交響曲第2番
ブラームスでいい印象のなかった神尾。
チャイコフスキーなら・・・と思って聴いたが
同じ印象。1楽章再現部は半分寝てた。
神尾はしばらく聴かなくてもいいと思った。
音量はあるのに勿体無い。
東京文化会館 5月14日
指揮 内藤彰 筝 吉村七重
西村朗 「樹海」二十弦筝とオーケストラのための協奏曲
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」他
新世界新校訂!
「新世界」が劇的に変わる!みたいな宣伝だったので
スコアまで持って聴きに言った。
所々、納得する部分もあったが
策士、策におぼれるで肝心の演奏が練り上げられてなかった。
前半のほうが力が抜けててむしろいい演奏だった。
N響アワーで有名な西村氏の作品を
図らずも聴くことになった。
18、東京都交響楽団
サントリーホール 7月18日
指揮 アラン・ギルバート
ヴァイオリン フランク・ペーター・ツィンマーマン
ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
ブラームス 交響曲第1番他
この組み合わせ。絶対名演だと思ってたのだが・・・
好みの問題だろうがベルクは繊細すぎて
オケに埋没して逆にいまいち伝わってこなかった。
ブラ1は勢いとうるさいだけの演奏で聞いてて腹が立ってきた。
コンマスの矢部氏が嫌いになった。
19、東京交響楽団 サントリーホール 9月17日
指揮 大友直人
チェロ 宮田大
シューマン チェロ協奏曲
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルグ編)
宮田大!!音程悪すぎ!音はいいのに。
来年、水戸室内を弾くらしいのだが大丈夫だろうか!!?
後半は何の整理もされてなくうるさいだけの演奏。
この演奏会。なにがしたかったんだ?
ふりかえってみると、マーラーイヤーだけあって
マーラーをたくさん聞いたことがわかった。
マーラーは胃がもたれるのだが来年も
マーラーはブームのようです。
今年もたくさんオケをはしごしました。
2月、4月、5月、7月、9月ははしごしました。
なので演奏会の回数の割には
上京したのはほぼ11回と月一回でした。
効率よくいい演奏が聴けたと思う。
NHKホールのE席の音響も悪くないことが分かったし、
サントリーのP席の音響も分かったので
これからはもっと安い席もうまく利用できそう。
むすびに
さて、来年はどのような年になるか・・・
来年の今頃を想像(創造)することは難しいが
それが人生の醍醐味であると思う。
世の中には中二病という物があるが、
(当時そんな言葉はなかったが)
確かに自分も中二病だったころはある。
中学2年生というと14歳になるわけだが
自分はその2倍の人生を歩んだのだなぁとおもうと
感慨深い。
あのころのもやもや、社会に対する意味なき反抗、
物事を斜めに見てしまったことなどは今は根治されているのだろうか。
14歳のときに見たもの・聴いたもの・読んだものを
再び体験するとあのときとは違う感想がでる。
中二病×3、つまり42歳のときにどんなことを考えるのだろう。
現在は「中2×2病」だったなぁと思うのだろうか。
それは腐るほど行っている。
演奏するほうである。
例の3・11以来始めての演奏会でした。
その間、2件の演奏会をキャンセルしてしまった。
1件は地震で会場が使えなくなったため。
1件は仕事とぶつかってしまったため。
前回、演奏会をやったのは1月だと思うので
10ヶ月ぶりである。こんんあいブランクがあいたのは
楽器を始めて以来初かもしれぬ。
久しぶりなのでなにか感慨があるかなとも思ったが
あんがいいつも通りでした(笑)
しかし!、来月も演奏会、再来月は2回も演奏会がある。
集中するときには集中するものだ・・・
ただ地震のことを考えれば幸せともいえる。
ずいぶん前から流行していたバンドではあるがようやく購入。
私、10年近く前に彼らをライブで聞いたことあるんです。
本県のコンサートホールに何故だかやってきて驚愕した覚えがある。
私はベース弾きなので必然注目はベースになるのだが
PAなしに大音量。(ホールの響きもいいのだが)
すさまじい早弾き。冗談抜きで
指が見えない!!
と思った記憶がある。
ずっと印象に残っていたバンドなのにようやくCDを購入。
朝、出勤のときに聞いたのだが
眠気が覚めて、血圧が上昇していくのが自覚できるぐらい熱中してしまった。
もうそこからはヘビーローテーションです。
クラシックなんか聞いてる場合じゃないとばかりに聴きあさっているのだが
不思議なことに何回聴いても飽きないののである。
実に緩急がありアルバムとしても
完成度が高い。
また来日したら生で聞きに行きたいものだが。
大分暇になりました。
お盆の暇なころにブログもリニューアルしたいがしないかも
だらだと書きます。
楽器考
・長い音と強い音は違う(当たり前だが),
むしろ密度の濃い,短い音を狙ったほうが「強い」音なのかもしれない。
そのためには弓を置くことが大事。基本?だが実に難しい。
美しい音楽
・ラヴェルのピアノ協奏曲2楽章は実に危ない。
世界で一番美しい音楽としてギネスに乗せてもいいと思うのだが,
これを車で聴くと別世界へ誘われ事故にあう危険がある。
マイブーム
・ボロディン四重奏団のショスタコ全集を買ったが、いい!
今のところ5番から10番までを集中的に聞いている。
弦楽四重奏ってコントラバスが入れないから,
ひがんで聴かなかったジャンルだが,
聴いてみるとじつに簡にして要を得た編成だということが分かる、が
ショスタコの四重奏は立った4本の弦楽器で
宇宙を作っている。
大編成のみが迫力があるわけではない。
(この前、ブルックナー聴いたけど)
・甘味
不二家だったかなで出ている「コロコロ」とかいう名前の
菓子が実にうまい。
・評論
最近聞いた演奏会と世評の隔絶を感じる。
音楽とは所詮,主観の賜物である。
このブログの評も然り。
巨大な数字と2本の動く針の光景を私はなすすべなく見つめていた。
すると・・・
聞き覚えのある音だ。
鳩時計の鳴く音、昔、祖母の家にあったあの音だ。
するとどこからともなく声がする。
「やったぁ、12までたどり着いたぜ短針のじいさま。」
「そりゃ君は長針だ。だから、私の何倍も早く,12にたどり着けるじゃないか」
「へっ、自分の足の遅さを出自のせいにするんじゃあない。」
短針と呼ばれた針が私に話しかける。
「あいつはまだ若いな、時計の原理、いや世の摂理を知らない。」
私は短針の言うことに頷きながら、
「君は何者だ」
と一応たずねた。どう見てもやつが時計の短針だと知りつつ。
「ご存知、私は時計の短針ですよ。
毎日毎日12から出発し、12を目指している、こんな毎日も悪くはないものですよ」
私はこの短針に興味を抱いたのでさらに話しかけた。
「毎日、12を目指しているのか君は。12に行ってどうするんだ。」
「私が12にたどり着くとかわいい鳩めが12回鳴くんです。これがたまらなく好きでね。
なんだろう若いころを思い出す。そう、生き急いでいたあのころを・・・」
「私はまだ若いのでそのような回顧主義は分からない・・・けれど・・・」
私は幼いころ、祖母の家で聞いた鳩時計の音を思い出した・・・
「確かに・・・鳩時計の音はいい」
「あなたにもいい思い出がおありのようですな」
短針は静かに口元を緩めた。
「私は貴方としゃべるとき少し、動いてしまうが勘弁してくれ。
もっともお若い貴方にとっては散歩にもならないだろうが。」
短針は語ると静かに時を刻んだ・・・
「そんなじぃさまと話していて何か楽しいか?」
すごいスピードで来た長針のやつが私に話しかける。
私はそれに答えなかった。
「まぁ、いつまでもそこで茶飲み話をしているといいさ。
おれは一足先に鳩の音を聞くさ、いや一足どころじゃないね ハハハ」
長針のやつはあっというまに12をめがけて駆けていった。
「彼は12に早く行くことをいいことだと思っている。
もっとゆっくり時を味わえばいいのに・・・」
短針はため息をつきながら言った。
「・・・けれど12にいくという目的という意味では私も彼とかわりはしないがね」
「・・・短針さん、貴方は12に行って、その、鳩時計を聞いたら
どうするんだい」
「また12を目指すんですよ」
予期していた答えではあったがやはり質問をせずに入られなかった。
「またですか?長い時間を掛けて?不毛さを感じないんですか?」
毎日毎日12を目指して進む、私はこの行程が繰り返しの不毛なものにしか思えなかった。
短針はゆっくり答えた。
「若いころは12にいくことそれが楽しくて楽しくて仕方がなかった。あの美しい鳩の音もね、
けれど、最近はもっと大きな楽しみがるんですよ。」
「もっと大きな楽しみ?短針である貴方に何があるというのです。」
「死ですよ」
驚く私を尻目に短針は淡々と答えた。
「死?つまり壊れるということですか?」
「そうですよ」
わたしはそれを聞き、興を殺がれた気持ちになった。
やはり時計の人生とはつまらないものだ。12を目指して12を目指して
最後に壊れるのを待つ。いったいそれに何の意味があるんだ。
わたしは意地悪に行った。
「つまらないものですね、時計というものは」
短針がどんな反応をするか、残酷な快感を感じていたが短針は
慌てる様子もなく驚くべきことを言った。
「あなたたち、人間と何か違いますかね」
「?」
「あなたたち人間も常に安らぎを求めて駆けているんでしょ。
安らぎは人それぞれ違いますがね。
アフター5、日曜日、正月、酒に女、ギャンブル、
けれど、安らぎのあとには再び安らぎまでの行進を歩むんでしょ、
安らぎだけの人生なんてあるわけないですからね。
日曜の後の月曜、安らかな眠りの後の朝・・・
それが我々、時計の歩みとなにか違いはありますかね?」
わたしは答えられなかった。短針はさらに続けた、
「若いうちは周囲の自然や身近な家族に感謝することなく、
ひたすら歩む、そう、あの長針のやつのようにね。
私も以前はそうでした。
けれど、老年になると悟るんですよ。幸せは身近にある。
歩みはゆっくりでいいと。
そして最後には永遠の安らぎを求めるんですよ。
死という安らぎをね」
私はなにもいえなかった。
確かに私の歩みと時計に何か違いはあるのか。
私もすぐに終わる鳩の音を聞くためにいつも歩んでいるに過ぎないのではないか。
死を迎えるまで。
俺とあの長針になにかちがいはあるんだろうか。
そういえば、いつも鳩の音を聞くことが出来たのは子供のころだった。
祖母に抱かれていたあのころ。もうあのころには戻れない。
鳩の音を聞くためには進むしかないのだ。永久に、壊れるまで・・・
気がつくと、私は目覚めていた。
なにか不思議な夢を見た気がするが覚えていない。
「日曜日はデートの約束があるんだ。さて出勤しよう。
はやく日曜にならないかな。」
私は憂鬱な月曜、会社に出勤した。
「たきへいじろう」ではない、「たきだいらじろう」である。
「モチモチの木」の挿絵(切り絵)で有名な方です。
音楽ばっかやってますが、まれに展覧会にも行きます。
昔は全部を必死に見たり、解説を読まなきゃと思っていたのだが、
ある段階からぱっとみておもしろくないものは詳しく見ないという主義になった。
面白いものは一見して何かがあると信じてる。
まぁ、素人ですが。
重ねて言うが素人の私が見ても非常に面白い展覧会だった。
以下、素人の戯言。
彼の作品は今日見たところでは、
結局のところ「日本の風景」あるいは風俗ということに尽きる気がする。
若い私は体験したことのない風景だがある一定の年齢層には
思い出深いものだと思う。
しかし、体験したことのない風景でも日本人のDNAにしみこんでいるのか
非常に心休まる風景であった。
いや、案外、現代にもこういった風景の片鱗はあるのかもしれない。
特に私の住む県は田舎なのでよく探せば、
昔の「なごり」というものを見ることが出来る。
特に今、仕事をしている場所はそのような片鱗が実に「見える」。
その片鱗は見ようと思わなければ見えないものである。
日本中、そういった片鱗は確かにあるだろう。
しかし、それはあくまでも片鱗に過ぎないのだろう。
片鱗は片鱗に過ぎない。
今となっては見ることの出来ない「風景」
そんなものを描いているのだろう。
特に作者が70代の作品は素晴らしかった。
1990年代に作られた作品で数は少なかったが
今となっては見られない風景を、
回想して描いたのではなかろうか。
回想が故にに実物よりも美しくなっているに違いない。
数の多かった50代の作品は
まだ、現実の延長にあったような気がする。
ゆえに70代の作品のほうが美しさにあふれていた。
あるいはそれは儚さを帯びていたともいえる気がする。
昔の日本は今よりも色彩にあふれていたのではないか。
そんなことを考えた。
それは周囲から感じ取れる「昔の片鱗」から考えるものなのか、
それとも体験できなかった故のあこがれなのか?
それは分からない。
非常に心にしみる作品展でした。
一生懸命見たのでつかれたけど(笑)
仕事も終わり、録画しておいた読響の第九も見たので
大分、年末という気分になったので今年を振り返る。
しかし、第九いい演奏だったなぁ、
ヒューウルフ指揮で絶対いいと思ったから
行こうか迷っていたのだが、金がなく断念した。
まぁ、テレビでみられたからいいか。
総括すると今年は最高にいい年だった。
生きていて最高かもしれない。
幸福のマスコットを手に入れましたからねぇ。
来年以降も幸せを更新したいと思います。
幸せは自分で壊すものですから常に感謝していれば、
少なくとも幸せは壊れないだろう。
本当にいい年でした。
さて、音楽面で総括。
演奏会は6回でした。
新世界を2回!とベト7、悲愴と定番の曲ばかりでしたが
ベト7で5弦ベースを弾けたのはよかったのと、
ニューフィル千葉の奏者の方と
プルトを組んで今後のヒントを大分得たのは大きい収穫。
悲愴はもう何回目かになったが最高に弾いていて楽しい演奏会だった。
今まで、演奏会後CDができても絶対に聞かない人だったのだが
今回は思わず購入して聞いて、
「いいじゃないか」と自己満足するアマチュアに転落してしまった。
けれど、それぐらいいい演奏会であった。
ベト7はイマイチ納得できなかったので
そのうちリベンジしたい。
独奏面ではパソコンに伴奏させて(ピアノパートを打ち込んで)
披露する機会があり楽しかった。
最近はなじみの曲を録音してよいものを作る楽しみが出来た。
多重録音もやったし。しばらくはパソコンに伴奏させたものを
録音して楽しんでいきたい。
パソコンの伴奏というのはインテンポしかできないのだが
インテンポの中で歌う大切さがよく分かった。
テンポが自由だと人間はどうしても
テンポがどんどん遅くなってしまうようである。
さてさて、今年も演奏会に行きまくりましたよ。
一日の間ではしごしたり宿泊したりして
なんと17回も
演奏会に行った!!
その分
実に金もなくなった と思う。
同じ曲目もとても多くなぜか
ラヴェルのピアノ協奏曲を
3回も聴いた。
来年から少なくしたいとは思いつつ
分かっちゃいるけどやめられない。
さて、今年はいやらしくランキング形式で書こうかな。
第1位 読売日本交響楽団 テミルカーノフ
ショスタコーヴィチ「レニングラード」
5月の演奏会。老巨匠は棒をあまり振らないのに
オケは自然と盛り上がっていく。テミルカーノフで昔、革命も聞いたが
彼の指揮は本当にすごい。実に名演でした。1時間以上の曲だが
全く飽きなかった。
第2位 NHK交響楽団 デュトワ
ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 他
12月の演奏会。これを1位にしようかも迷った。
N響が底力を出すと他のオケより圧倒的にうまいということが
よく分かった。デュトワの設計が実に緻密で
きれいながらグロテスクな名演でした。
第3位 読売日本交響楽団 カンブルラン
ストラヴィンスキー「火の鳥(全曲)」
11月の演奏会。カンブルランもテミルカーノフと同じく
和声のつかい方がうまいと思う。
実にカラーが多彩でハーモニーが下半身に響いた。
直情的ではない分心に残る演奏。
第4位 新日本フィル アルミンク
リゲティ ヴァイオリン協奏曲 コダーイ「ハーリヤーノシュ」他
7月の演奏会。前半のリゲティが壮絶。息もつかないとは
ああいう演奏の言うことを言うのだろう。
ソリストのコパチンスカヤの独壇場で後半を
完全に食っていた。実に緊張感にあふれた名演。
第5位 日本フィル ラザレフ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番、交響曲第5番他
9月の演奏会。客のマナーが全体的に気になったが
前半の上原彩子のピアノは今年一番、泣けた。
彼女の3楽章は実に素晴らしい。交響曲も佳演。
最後のオーケストレーションが実に鮮やかでした。
第6位 東京シティフィル 飯守泰次郎
ストラヴィンスキー「火の鳥(1919年)」他
10月の演奏会。バレエつきしかも安価だった。
やはりバレエがつくと視覚的に面白い。とても感動した。
体調がいまひとつだったのだが火の鳥は本当に楽しめた。
こういう取り組みは文化水準の向上につながると思う。
第7位 NHK交響楽団 ビシュコフ
ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 ストラヴィンスキー「春の祭典」
2月の演奏会。実に素晴らしいプログラムだったが
後半がメインだったので前半のショスタコは練習不足感が見えた。
後半も緊張感はすごかったが、名演というほどではなかった。
ビシュコフがN響を掌握していない感じであった。
第8位 新日本フィル ヒュー・ウルフ
シューマン チェロ協奏曲 ショスタコーヴィチ 10月革命他
2月の演奏会。ヴァシリエヴァのチェロは実に素晴らしく
音量も十分。以前、サンサーンスを聞いたときとは別人だった。
ただ疲れていて演奏会の半分以上寝てた。
寝ながら、いい演奏なのに勿体無いと本当に思った。
第9位 水戸室内管弦楽団 宮本文昭
ショスタコ 室内交響曲 シューベルト 交響曲第3番
10月の演奏会。水戸室内はやはりうまい。
ただ、指揮が若干テンポを乱している感はあった。
池松氏のコントラバスに若干?を感じたのは気のせいか。
病み上がりだったので咳を我慢するのに苦労した。
第10位 読売日本交響楽団 グシュルバウアー
ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 ドヴォルザーク 交響曲第8番他
8月の演奏会。いわゆる名曲プロ。そういう意味では楽しんだ。
前半のブルッフは解釈が共感できず、
会場が盛り上がる中一人「?」という感じだった。
アンコールに「魔笛」序曲が聴けてよかった。
第11位 東京都交響楽団 アウトウォーター
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 ムソルグスキー 展覧会の絵
9月の演奏会。サー・チェンのピアノはいかにも
コンクールピアニストという感じであるが、
この曲にはふさわしかったかもしれない。展覧会の絵は
指揮者がだめだめでじつに眠かった。
第12位 京都市交響楽団 広上
R・シュトラウス ホルン協奏曲第1番 ベートーヴェン 交響曲第4番他
3月の演奏会。バボラークのホルン!すごかった!
リヒャルトは完璧なテクニックに実に感動した。
後半のベートーヴェンも京都市響の弦のうまさを
感じることが出来た。
第13位 群馬交響楽団 梅田
ラヴェル ピアノ協奏曲 ストラヴィンスキー「春の祭典」
3月の演奏会。前述の京都市響と異なり、
群響の下手さを象徴してしまった演奏。春の祭典では
テクニックの弱さがもろにでてしまったという感じ。
財政難のせいかエキストラも多かった。
第14位 スロヴァキア放送交響楽団 マリオ・コシック
三大交響曲 未完成・運命・新世界
11月の演奏会。光〇社によるいわゆるドサ回りオケ。
しかし、運命の4楽章でカットがあるとはねぇ。
過密の日程や未完成や運命をやるのに
5弦ベースはないとひどい環境だ。
ただ指揮者は変態的個性を発揮していて
ゲテモノとしてみるならばまぁ、いいとしよう・・・?
第15位 紀尾井シンフォニエッタ 尾高
スーク 弦楽セレナーデ ドヴォルザーク 交響曲第8番他
3月の演奏会。いったい何がしたい演奏会だったんだ?
小編成オケなのにアプローチは大編成と変わらず、
金管などにも工夫もなし。眠くて仕方なく、
最後は拍手もせず帰った。
選外
・新日本フィル 円光寺
新世界 ラプソディインブルー他
3月の演奏会。地元にきたのでそれだけで楽しかった。
金がかかってないので文句は言うまい。
・東京フィル 井上道義
ニューイヤーコンサート
ニューイヤーに文句を言うのは無粋ですから。
と、こんな感じでした。
来年は
1月 大野 東京フィル プロコ5 ショスタコ6
2月ははしごして
神奈川フィル マーラー5番
読響 神尾真由子を迎えたブラームスプロ
3月 N響 シベコン・ブラ4
まで予定が入ってます。(笑)やはりオケ通いはやめられない。
来年の今も幸せでいたいです。
コントラバスのCDは・・・地味にちょこっと買ってます。
日本人奏者の非売品を何枚か手に入れました。
最近気がついたのはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲って
実はというかやはり
最強のヴァイオリン協奏曲だと気がつきました。
1楽章のカデンツァから再現部への以降、最後のaccele.、
2楽章への和声進行、3楽章でのおーけすとらとの掛け合い、
あらゆる部分が実に最強。
20世紀にもショスタコ、シベリウス、エルガー、プロコフィエフ、リゲティと
名作は数多あるが最強はやはりメンデルスゾーンなのだろう。
演奏活動ではブルックナーとラフマニノフ2番(交響曲ね)という
大曲を2つ抱えてしまい、さてどうしたものか。
難しいのは圧倒的に後者。
前者は難しいがさらいがいがあって楽しい、しかもハイリスクハイリターン。
後者はリズムやアーティキュレーションが難しすぎる。
こりすぎだと思う。ハイリスクノーリターンだし。
ラフマニノフ2番って最近嫌いなんだということに気がついた。
3楽章が美しいか?
しつこいし、つぎはぎの部分が見えません?
2楽章が一番好きなのは異端だろうか?
2楽章がマジ燃える。
最近聞いた名演、デュトワ、N響のショスタコ8番
これはやられた。
1楽章は設計図の見える緻密さ。
2楽章のアイロニーが実に絶妙。
フルートの旋律の裏で馬鹿みたいになるコントラファゴット、最高。
3楽章のコントラバスでびびる。
4楽章があまりに不愉快だった。この楽章は不愉快でいいのである。
じつにじつに不愉快なところへ5楽章へのアタッカ。
1楽章のテーマが回帰した瞬間に
「こんなフィナーレは違うんだーーーー」という
ショスタコの叫び声がマジで聞こえた気がする。
5月に聞いたテミルカーノフ、読響のレニングラードに続き、
実に素晴らしいショスタコを聞いた。
最近思ったこと、
ボッテシーニのグランデュオコンチェルタンテって
公開の情事のような趣がある曲なんだと確信した。
最近やりたいと思ったこと
やや残酷な食育絵本の作成
1、豚の親子が幸せに暮らす
2、母親が肉になる日、息子は嘆くが母が言う
「私たちはおいしいって人間に言われると天国にいけるんだよ
だから私は満足。」
息子は納得、以後彼の人生基本哲学となる。
3、いよいよ息子も肉となる日を迎える
「ぼくはおいしいっていってもらい幸せな国へ行くんだ」
4、給食にだされる豚肉。あまりの残食量。主人公の豚肉食べられず棄てられる。
小学生「豚肉なんか嫌い」
「嫌いなモンは無理して食べなくていいんでしょ」
「給食費払ってるんだから、残すのは自由じゃないか」
若い母親「昔は無理して嫌いなものを食べさせられて嫌な時代だったわ」
「世界にひとつだけの花と同じで食の好みも人それぞれね」
5、地獄へ落ちる主人公の豚
「神様、ボクになんの罪があるんですか?」
周囲には同じように棄てられた数多の食材。 完
ちょっと子供には過激だと思うが飽食の時代に警鐘がならせるのではないだろうか。
まぁ、描かないけど。
アメリカなしで牛丼も食えない日本人
中国に反対しても10円の安さを求めて、中国産牛丼を食いながら
愛国を叫ぶ日本人に捧ぐ